
三河さんに、いままで記者時代に担当した仕事の思い出を、少し事前に教えていただきました。
日経新聞記者在籍中の良い思い出
99年〜2001年は日経BP社の「日経ビジネス」編集部に出向した際に、自動車業界などを担当。ちょうど、日産自動車の経営危機の時で、当時同社のCOO(最高経営執行者)になったカルロス・ゴーン氏(当時は仏ルノーCOO)に、日本メディアとして初の単独インタビューを敢行した(東京に来たルノー広報担当に毎日ワインやチーズ=イズノーのカマンベールなどを差し入れて単独取材権を勝ち得たのは、いい思い出)。とのことです!
悪戦苦闘し知恵を働かせながら、単独取材って勝ち取っていくのですね!面白いですね。
大変だった思い出
2007年2月〜2010年3月、日経のバンコク支局長になった際に、ちょうど、2006年にクーデターを引き起こした軍が政権を握るなか、軍政を支持する富裕層と、これに反発する市民との衝突で大混乱が発生。ある国で混乱があると日本や近隣国の記者が応援に来るのが普通であるが、空港が閉鎖されたため、単騎で仕事するしかなかったそうです。「半分死んだ!」と思ったそうです。
帰国後は、日経産業新聞デスク、日経・特別企画室企画委員、日経MJ紙デスク、再び日経産業新聞デスクを歴任したそうです。
三河さんいわく、
「組織ではない働き方もあるのではないか」「人生100年という時代感が起こってくる中で、意識的にも体力的にも衰えてくる60代で退社する方がリスクが大きのではないか」
という考えから離職を決意したのだそうです。タイでの命がけの体験も大きかったのでしょうね。
そして、現在はフリーランスとして様々な仕事に関わりつつ、(株)ウェイビー社
の手掛ける、起業・独立・開業のためのポータルサイト「助っ人」の編集長に就いたほか、ジャーナリストとして活動を進めているそうです。
この若いメンバーらから依頼され、メディアを手伝うことになったって、すごい素敵なことではないですか?若い人たちに頼りにされる50代ライフシフターズのオッサン。