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講師紹介3:元日経記者50歳、タフな三河主門さん(ライフシフトじぶん未来創造塾)


の3人目のライフシフターズ講師である、三河主門(本名は三河正久)さんの紹介です。

 

三河さんは、カラダが大きくてムーミンみたいな、ほんわかしたオーラのある優しい感じのオッサンです。
三河氏顔写真
しかし、このほんわかさとは裏腹に、実は今年5月までキレとスピードを超要する、日経記者として活躍していた、50歳のライフシフターズです。

 

三河さんに、いままで記者時代に担当した仕事の思い出を、少し事前に教えていただきました。

 

記者という仕事は、なかなかふつう体験できないコトを最前線で取材し書いていく人々なので個人的に、とても興味があったものですから…
三河さんは、1992年に日本経済新聞社に入社。最初の配属は産業部(現・企業報道部)に配属され、ゼネコン不祥事の時期に、産業部の住宅建設グループで、バブル後のゼネコン処理などを担当したということです。

 

その後も、建材・住設機器担当になり、「日本でもっとも温水洗浄便座(ウォシュレットなど)に詳しい記者として(笑)取材に奔走。

 

日経新聞記者在籍中の良い思い出

 

99年〜2001年は日経BP社の「日経ビジネス」編集部に出向した際に、自動車業界などを担当。ちょうど、日産自動車の経営危機の時で、当時同社のCOO(最高経営執行者)になったカルロス・ゴーン氏(当時は仏ルノーCOO)に、日本メディアとして初の単独インタビューを敢行した(東京に来たルノー広報担当に毎日ワインやチーズ=イズノーのカマンベールなどを差し入れて単独取材権を勝ち得たのは、いい思い出)。とのことです!

悪戦苦闘し知恵を働かせながら、単独取材って勝ち取っていくのですね!面白いですね。

 

その後もトヨタ自動車特集、ホンダ特集で日経BP社長賞。このほか、劇団四季の創立者、浅利慶氏のインタビュー記事を誌面で掲載し、中曽根康弘・元首相に激賞されるなどの経験もされたそうです。

 

大変だった思い出

2007年2月〜2010年3月、日経のバンコク支局長になった際に、ちょうど、2006年にクーデターを引き起こした軍が政権を握るなか、軍政を支持する富裕層と、これに反発する市民との衝突で大混乱が発生。ある国で混乱があると日本や近隣国の記者が応援に来るのが普通であるが、空港が閉鎖されたため、単騎で仕事するしかなかったそうです。「半分死んだ!」と思ったそうです。

こりゃー確かに、怖いですよね。

 

帰国後は、日経産業新聞デスク、日経・特別企画室企画委員、日経MJ紙デスク、再び日経産業新聞デスクを歴任したそうです。

 

なぜ、三河さんは日経新聞社というブランドを捨て、50歳ジャストにして退職をし、ライフシフトしたのか?昨日このブログで紹介したガッツ克也さん同様、とても謎ですよね?

 

三河さんいわく、

「組織ではない働き方もあるのではないか」「人生100年という時代感が起こってくる中で、意識的にも体力的にも衰えてくる60代で退社する方がリスクが大きのではないか」

 

という考えから離職を決意したのだそうです。タイでの命がけの体験も大きかったのでしょうね。

そして、現在はフリーランスとして様々な仕事に関わりつつ、(株)ウェイビー社

の手掛ける、起業・独立・開業のためのポータルサイト「助っ人」の編集長に就いたほか、ジャーナリストとして活動を進めているそうです。

 

この(株)ウェイビー社は、若いメンバーが中心の比較的新しい会社です。
「人生1回きりです。せっかくの1回の人生であれば、面白いこと、ワクワクすること、世界を驚かすこと、世界がよくなることをしませんか?」
をミッションに起業支援をしている会社です。

 

この若いメンバーらから依頼され、メディアを手伝うことになったって、すごい素敵なことではないですか?若い人たちに頼りにされる50代ライフシフターズのオッサン。

こんな、ライフシフトしたばかりの三河さんの話を、11月10日スタートの「ライフシフトじぶん未来創造塾」へ、ぜひ聞きにきてください!
そして、じかに交流して仲良くなって欲しいです!

 

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新しい生き方・働き方をライフシフターズとリアルに学ぶ5Day’s
 
ライフシフトじぶん未来創造塾
 
11月10日(金)から(5回ワンクール)開催します!
早割:10月15日まで(55,000円)
 
 
 
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